直診協会の設立と経緯
わが国における社会保障制度の中核である医療保障制度も、昭和36年の国民皆保険の実施によって、一応の目標は達せられたが、この国民皆保険を実現したものは、国民健康保険(国保)の普及発達によるものであることは周知のとおりである。
財政基盤の脆弱な市町村を経営主体として設立された国民健康保険直営診療施設(国保直診施設)は、あらゆる苦難に耐えて地域住民に最も接近した第一線の公的医療機関として、国保における療養の給付を担当し、医師の確保、施設の整備拡充に努め、地域住民の健康を保持し、国保の普及に重要な役割を果たしてきたことは銘記されなければならない。
国保が地域住民の間に浸透するに従って、医療設備の機能の高度化は、強く住民から要求されることとなった。当時の国保直診施設は、終戦後の財源不足に加えて、建設資材の調達も極めて困難な状態の中で建設されたものであり、ほとんどの国保直診施設が老朽化しており、近代医療に対処するためにも国保直診施設の近代化、高度化を実施せざるを得ない立場に立たされることとなった。
これよりさき昭和31年、県は国保直診施設の近代化10か年計画の試案を作成し、国保直診施設の整備促進を図った。
しかしながら、国保直診施設の運営、管理は、開設者である保険者の財政事情あるいは医療費の変動等により必ずしも健全な状態ではなかったので、国保直診施設の近代化、高度化は遅々として進まなかったが、ようやく昭和36年に旭中央病院が鉄筋コンクリート2階建の国保直診施設医師のための研究施設を完成し、これを緒にして各国保直診施設の近代化が進められたのである。勿論、国、県からの補助金、運営資金貸付といった財政的援助が整備を促したことも忘れてはならない。
一方、病院の充実強化がなされる反面、各地に散在する診療所は次々と休廃止していった。その理由は、昭和30年前後に始まった町村合併や、病院への統合といった自治体体制の発展による休廃止もあったが、大部分は医師の確保が困難であったり、財政状況が悪化したために休廃止のやむなきに至ったものであった。
このような状況に対処して、県は診療所と近接国保病院との提携を働きかけたが期待したほどの効果が上げられなかったため、さきの近代化計画に併せて組織化、系統化の計画を樹立し、同時にともすれば孤立化する国保直診施設の連携を強化するため、昭和36年当時の県の国民健康保険課長は、従来国保連合会の一事業部門であった国保直診運営協議会を改組し、独立の機関設立を提言され、国保直診施設開設者、管理者と協議し昭和37年、千葉県国民健康保険直営診療施設協会(以下「直診協会」という。)が創立されるに至ったのである。なお、翌年1月31日付けを以って千葉県知事より社団法人としての許可を受け、正式に社団法人千葉県国民健康保険直営診療施設協会が設立された。
その後、直診協会を中心として会員相互の連携強化を図るとともに、定款に定める管理の合理化並びに施設の機能の充実強化と医学の向上を図り、一般住民の傷病の適正治療と健康保持増進に広く寄与してきた。
平成18年6月、公益法人制度改革関連三法が公布され、平成20年12月より公益法人制度が施行されたことに伴い、平成25年3月18日付けを以って千葉県知事より公益社団法人として認定を受け、同年4月1日に公益社団法人千葉県国民健康保険直営診療施設協会に移行した。
なお、このような形で公益社団法人化した組織は、全国を見渡しても、千葉県のみである。